第一話 ウナギ責め地獄への入口
○密通の嫌疑
ある夜、日本橋の番所に投げ文による通報があった。内容は呉服問屋を営む伊勢屋の長女ありさ(二十歳)が、番頭の俊吉と密かに情を重ねているというものである。
当時「密通」は婚姻関係を結ばない全ての性的関係を指し、公認の遊郭などでの「密通」を除いて、訴えに基づき厳しい刑事罰とされた。もしこれが事実であれば、小伝馬町の牢屋において斬首刑に処せられる。
普段番所での犯人取り調べは担当の同心がその任務を遂行していたが、この日は珍しく同心の上司に当たる与力の黒山左内が詰め掛けていた。
この黒山左内という男、奉行所内での受けもよく表向きは実直で通っていたが、こと女性に関しては異常なほどの色好みで、これと思った女性が現れるとありとあらゆる策を講じて毒牙にかけるという悪鬼のような男であった。つまり一度この黒山に見初められたが最後、見初められた女性は『蛇に睨まれた蛙』となっていた。
ありさが初めて黒山の屋敷を訪れたのは二ヵ月前のことであった。父親の勘兵衛が風邪をこじらせて寝込んでいたため、父親の代理で黒山の屋敷へ反物を届けに訪れたところを、主の黒山に見初められたのが運のつきであった。黒山は早速ありさを屋敷の女中として奉公に差し出すよう父親に命じたが、ありさはこれを頑なに拒んだ。
ありさが命に背いたことで黒山は激昂したが、いかな町奉行直近の与力といえども、商家の娘をむりやり女中奉公させるような強引な手立てはとれなかった。それでも諦めきれない黒山は日々考えをめぐらせ、そのすえ、彼の脳裏にひとつの妙策が閃いた。
土間の筵に正座させられ荒縄で後手に縛られたありさは、覚えのない罪状を突きつけられ、ただただ悔し涙にくれていた。
同心の小菅を真ん中に岡っ引きの源五郎と下っ引きがありさを取り囲み、厳しく問い詰めていた。
「早く正直に吐いちまいなよ。その方が楽になるってもんだぜ」
源五郎は十手でありさの頬をぺたぺたと叩き凄んでみせた。
「俊吉とはそんな関係じゃありません!お願いです、信じてください!」
「ちぇっ、まだしらばっくれるつもりかよ~?仕方ねえなあ、ちょっとばかし痛い目に遭わなきゃ吐かねえようだなあ。旦那、この女、大人しそうに見えて案外強情なようで。どうです?笞打ちにしましょうか?」
「どうしても白状しないとあればやむを得ぬか。よし支度しろ」
「へえ」
「合点だ!」
源五郎たちはすぐさま笞打ちの準備を始めた。
「笞打ち」とは棒でひっぱたくだけの単純な拷問で、囚人の上半身を裸にしてから両腕を縄できつく縛り上げ、動けないようにその縄を二人の男が引っ張る。これだけでも相当に苦痛であり泣き喚くものもいるほどだ。縛り上げが終わると箒尻(竹を麻で補強した棒)で肩の辺りを思い切り叩く。二人で叩くこともあり、しばらく叩かれた容疑者は血が滲むこともあったという。
一度は捕縄を解かれたありさだったが、すぐに両側から取り押さえられ衣を毟り取られた。
「いやですっ!やめてください!」
「おい!女!大人しくしなっ!」
上半身の着衣がずれ白の襦袢姿になったとき、奥から凄みの効いた声が聞こえて来た。
「待て!」
小菅たちは驚いて声のする方向に目をやった。
奥からは与力の黒山左内がゆっくりと現れた。
「あっ、黒山様、ごくろうさまです」
小菅たちは慇懃に挨拶をした。
「ほほう、この女、伊勢屋の娘だそうじゃな」
「はい、左様でございます」
「伊勢屋は屋敷の出入り商人なんじゃ」
「左様でございますか?」
「この者の父は知らぬ者でもないので、まあ、大目に見てやれ」
「ははっ」
「で、どのような咎じゃ」
黒山は何食わぬ顔をして尋ねた。
小菅は黒山にありさの罪状を一部始終克明に説明した。
「ふうむ。そう言う事情であれば例え伊勢屋の娘であったとしても捨て置くわけには参らぬのう。密通は重罪じゃからのう。で、このありさとやらは番頭とは情を通じていないと言い張るのか?」
「はい。証拠があるにも拘わらず、番頭とは関係がないと言い張っております」
「証拠があるのか?」
「はい、二人の外での逢う瀬を目撃した者がおりまして」
「嘘です!番頭と外で逢ったことなど一度もありません!」
「おまえは黙っておれ!」
「与力様!信じてください!本当に、本当に番頭の俊吉とは関係ありません!」
よもや黒山のはかりごととは知らないありさは、上役の黒山にすがるように訴えた。
時下に与力に訴えかけたありさを小菅は激しく叱りつけた。
「黙れと言うに!」
小菅の平手打ちがありさの頬にさく裂した。
「うっ!」
「やめろ。女を傷つけてはならぬ」
「はぁ、しかし」
「このような美しい女を傷つけるのは惜しい限りじゃ。ふふふ、そうは思わぬか?それに当方の屋敷出入りの伊勢屋と言うことある」
「はぁ」
「されど、罪は罪。ご法度に則り罪は裁かねばならぬ」
「はぁ、ではいかに?」
黒山は小菅を傍に呼び寄せ、小声で何やら耳打ちをした。
「はぁ……はぁ……ほほう……それはなかなかの名案でございますなあ」
小菅はにやりと口元を緩め、源五郎たちを準備に取り掛からせた。
第一話 ウナギ責め地獄への入口 ここまで