猫又少女編 猫又少女――世界の広さ 第二話
すでに夜の九時を回り、こんな時間に軽トラックをレッカーしても費用と手間がかさむだけなので、翌日に持ち越しすることにした。
運が良かったのは高速道路のサービスエリアの駐車場で軽トラックが故障してくれたということで、サービスエリア内で夜が明けるのを待てばいいのだった。
ずいぶん時間を持て余すことになるけれど、車検費用の大量出費の後なのだ、深夜増し料金など払っていられる懐事情ではない。
「ね、お父さん。お腹空いたってば」
猫又少女が僕の服の裾を引っ張ってくる。
故障した軽トラックについては問題を明日に持ち越しすることにしたものの、そういえばこの子についてはまだだった。
レストランに入り、なにか適当に食べさせてやりながら穏便に訊いた。
「で、お前はこの後どうするんだ?」
「……お父さんと暮らす、ていうか、暮らしたい……な」
「ふぅん、そうか」
「え、良いの? てかさ、お父さんは私の話をどこまで信用してくれてるの?」
器用に箸を使ってラーメンを啜っていた猫又少女が手を止め、僕の顔を覗き込んでくる。
「あの軽トラック、お前のお母さん絡みでは、たくさんの不思議な体験をさせてもらったんだ。だから突然現れたお前が、実は猫又で、実は僕の娘だって話を頭ごなしに全否定することができないだけだよ」
「信じているわけじゃないってことですね?」
「否定はしないってことさ」
「エッチした話はすぐに信じちゃうくせにっ!」
ふんっ、と猫又少女は唇を尖らせた。
軽トラック絡みの不思議体験の全てが全てエッチな話だったことを、当然のように猫又少女は知っている態度だった。
「じゃあ私とエッチしたら、私のことも信じてくれる?」
「僕たちは父と娘の関係なんだろ? 父と娘なのにそういうことはできないよ」
「う~ん、それはそうなんだけど……」
「否定はしないよ、ってことじゃダメなのか?」
猫又少女は何か言い足りない顔をしながら、またラーメンを啜り始めた。
「お母さ……えと、あの故障しちゃった軽トラックはどうするの?
直して乗り続けるの? それとも別のに買い替え?」
「たくさん思い出のある軽トラだから名残惜しいけれど、もう直らないような気がするんだ。
お前も言ってただろう? 死んじゃったのかって」
「あぁ、うん」
「漠然と感じるんだよなぁ、もうダメだって」
「私がああ言ったのは、お父さんの場合とは違うよ。だって、私も死んじゃってるんだもん」
じゃあどう違うのか説明して欲しいのだけど、どうせ死んだことのない僕にはわからなそうだったので、内心でぼやいて終わりにした。
「まぁ一応、整備工場には持っていくけど、買い替えかな」
「ふーん、そっかぁ。寂しいね」
「そうだな、寂しいな」
「……お父さんにはわからないよ、この寂しさは。
まだ生きてるんだもん、絶対にわかんないよ」
猫又少女は僕を責める風でもなく、独り言のようにそうつぶやいた。
そしてラーメンを食べ終えたらしく、ごちそうさまと手を合わせた。
なんだろうね、僕の感じる寂しさだって本物なのに偽物みたいに言われちゃってさ。
言ってくれた猫又少女はすでに自分の世界に入ってしまっていて、窓の外の遙か向こうに視線を馳せている。
僕はのんびりとコーヒーカップを傾けた。
制服姿はいつも不満げだ。
――
――
それから僕たちは休憩室に場所を移し、朝までの時間を潰すことにした。
夜が更けていくにつれて売店も閉まりだし、人数もまばらになっていく。賑やかだった施設内が熱を失うように静まりかえり、今や話し声が遠くにまで響き渡る深夜二時。
「ねぇ、お父さん」
一応年頃の娘を連れているのだから眠るわけにもいかず起き続けていた僕に、猫又少女が話しかけてくる。
しっかりと周囲に配慮した囁き声。
夜行性の猫らしく、こんな時間でもきりっとした表情をしていた。
「私、やっぱり飼い主だった家族のみんなに会いに行きたいって言ったら、怒る?
ワガママだよね、ごめんなさい」
「……いや、怒らないよ」
「本当? どうして?」
お前が先回りして謝ったからだろうが、と言ってしまっては大人の威厳が崩壊な場面だった。
「正直、僕はお前の事情を全然理解してあげられていないと思う。
だから会いに行くなとも言えない。会いに行ってどうなるのかもわからない。
だからまずは会いに行きたいなら会いに行ってみて、それから一緒に考えようとしか言ってあげられない。
頼りないよな、ごめんな」
「お父さんは私のことを本当に娘だと思ってくれてる?」
「……本当を言えば、捨て猫を見つけて、そのままにしておけないなって気分でお前と接してるよ。乗りかかった船、ってところかな。」
本当なら制服を着た猫又少女の話が本当なのか見極めるためにもちゃんと話を聞くべきだろう。
じゃあどうしてそうしないのかといえば、たぶんそれは、ずっとここ一週間ほど目的のない旅を続けていたからだ。
ちょっとした逃避行的な一人旅で、着の身着のまま軽トラックに乗り込んで、気の向くままに日本を旅して回っていたところだった。
そんな旅先で出会った猫又少女。
せっかく俗世を忘れたくて旅に出たのだから、とやかく他人の背景事情を根掘り葉掘りするつもりにならないのだ。
あぁ世界って広いんだなぁ――そんな感想一つで何でも受け入れられそうな気がする旅人気分。
そしてそんな感想一つで世界が温かく色付き始める気がする。
人の姿形をした猫又妖怪だって、世界には実存するのかもしれない。
世界は広いのだから。
第二話 猫又少女――世界の広さ ここまで